つくば市 牛久市 守谷市 にて「自然な庭 外構 エクステリア ガーデニング」を提案する | ニハソノ


自然な「お庭」

The Sense of Wonder

レイチェル・カーソン「The Sense of Wonder」冒頭。波の音が轟き、波飛沫が痛いほどの嵐の海岸、しかも夜。そこに立つ1歳8ヶ月のロジャーと著者は「心の底から湧きあがるよろこびに満たされて」笑い声をあげる。「わたしたちは背中がぞくぞくするような興奮をともにあじわったのです!」
なんという自然の2面性。大きな災害から、自然がいつも「快さ」を提供するとは限らないことを強く印象づけられました。そして同時に「なにが最も大切か」あなたは気づいていました。物質的な豊かさよりも、家族、親戚そして近所・地域社会とのつながりがなんと素晴らしいことか。

ある種の疚しさ

パンとサーカスをいっしょに際限なく享受する生活。快適さと引き替えに何かが犠牲になっていることを考えないようにしてきた事に、ある種の疚しさを感じて苛まれていた人たちが私を含め大勢いたはずです。
今までの生活と価値観から「無駄と過剰」を慎重にとり除き、周囲の自然環境と調和・妥協することが、当面は私達の気持ちをどうやら落ち着かせます。その落ち着いた頃には、五感が戻っている筈。いつのまにか自然を楽しみ、同時に敬意を払うあなたに友人が驚くことでしょう。
昨今の草食系と言われる方々や身の丈サイズで暮らすことを由とした人々は、とっくに直感で知っていたのかも知れません。

700年近く前

今から700年近く前。兼行法師の「徒然草」の第十段の一部抜粋。

家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。
よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色もひときはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしく、きららかならねど、木立もの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子・透垣のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
多くの工の、心を尽してみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。また、時の間の烟ともなりなんとぞ、うち見るより思はるる。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。

( 超・勝手訳 )「住まいで人が想像できる。造り過ぎないのが素敵だ。」
「徒然草」のおもしろいところは「だよね」と相槌を打った瞬間、700年を超える驚きにあります。(第三段あたりは男性雑誌読者に。第七十三段はtwitterについてまで兼好法師は言及されている!)

庭のなかの多様性

「ニハソノ」は生物多様性に富む、自然なお庭を提案します。
その地域の雑木林の植生をお手本とした極めて自然で地味なお庭です。しかしそこには周囲の環境撹乱を最小限にし、さまざまな生物が生息し、日毎、季節毎そして年毎に変わりゆく自然のすがたの一部を間近で観察できるでしょう。雑草を生やしたお庭からは混然とした気持ちよさを感じるかも知れません。実はそこに植物なりの秩序と生き物なりのルールと苦労を見るでしょう。

生い立ちの知れた草

自然なお庭からは、自然の恵みも戴きましょう。キイチゴ、ウグイスカグラ、グミ、ヤマモモ、アケビ、クワの実、クリや椎の実などは野趣の濃いポピュラーな庭の恵みです。さらに食べることができる野草はたくさんあります。道端の排気ガスと犬のおしっこがたっぷりついた草ではなく、自分の庭の野草(雑草とも言う)は、生い立ちが知れています。安心して食べることができるかどうかは、庭の住人のあなたが知っています。子供と一緒に名前を同定しながら摘み採るのは新鮮な経験になることでしょう。春の七草を思い出してください。雑草と呼ぶ植物達が、庭の変遷と密接な関係を持つことからも興味深い時間が過ごせそうです。

庭での生き物調査は高等レクリエーションです。図書館から借りてきた図鑑の絵合わせで(検索表が使えれば最高!)名前を調べるだけで、通り過ぎていく鳥たちとウロウロしていた虫たちが身近に感じられます。毛虫たちにも毒を持つものが少ないことも知るでしょう。生き物調査が日常になってしまえば、夏休みの自由研究に困ることもありません。
自然な土の庭(芝生は最小限です!)では、子供を裸足で遊ばせてあげてください。ひんやりとした土の快感を、パパママがお庭を管理することで体験させてあげてください。
砕石を敷き詰めたり、コンクリートで覆った庭は、毎日の手入れが楽な分、庭の生物の多様度は貧弱極まりないこととなります。